疲弊している人を音楽で癒したい ― スマイル合唱団立ち上げまでの道のり
中島啓江合唱団
中島啓江は亡くなる平成26年11月23日までの約15年間、㈱ピュアハーツに所属しておりました。「疲弊している人を音楽で癒し、心の復興ができないか」と、つねづね私は中島と熱く話しておりました。
二人で意を決して、平成15年から全国の会館と困難な交渉をはじめ、全国の様々な地域に"中島啓江合唱団"を作っていきました。各地に童謡などの楽譜を送って、合唱を教える先生を探してもらい、それから合唱団員を集めて練習し、中島啓江とのジョイントコンサートも行うというもので、多い時は20カ所近い地域にありました。毎回、中島はコンサートの前日に現地入りし、合唱団員の方々を対象にワークショップを行い、曲を練習するだけではなく、音楽を通じて人と人の絆を取り戻そうと啓蒙しました。
かくしてスタートした中島啓江合唱団だったのですが、会館の担当者の異動や当時の小泉政権下での市町村の合併などが障壁となり、多くの場所で継続が難しくなっていきました。福井県坂井市など一部地域では5年続いた場所もあったのですが、ほとんどの合唱団は2,3年で終わってしまうというのが現実でした。
スマイル合唱団の誕生
中島啓江合唱団の継続に行き詰まり、平成20年からは自分たちの手で東京に"スマイル合唱団"を作り始めました。理念に賛同する音楽家たちが集い、最初は数十名の合唱団員だったのですが、各地域にひとつずつ新しいスマイル合唱団を作っていきました。「みんなで笑顔で歌って元気になろう」というスローガンのもと、各地で童謡、唱歌、昭和歌謡などを楽しく歌い、少しずつ合唱団員を増やしていきました。
私と故中島啓江が中心となり、各地域のスマイル合唱団・青春ポップス合唱団の自主活動を支援するNPO法人を立ち上げ、中島は理事に就任。と同時に、合唱団員を応援する応援団長としても手腕を振るい、各地の活動でも団員と一緒に歌い、音楽を通した人と人の絆の復興を説き、精神的にも合唱団全体を先導しました。合言葉は「武道館へ行くぞ!」。1万人以上の団員がフルオーケストラ伴奏で大合唱することを目標にしていましたが、2014年に志半ばで帰らぬ人となってしまいました。
その後2015年4月に、スマイル合唱団・青春ポップス合唱団の応援団であった安田祥子さんを応援団長に。そしてNPO法人の顧問に迎え、残された我々同志とともに中島の遺志を引き継ぎ、全国にスマイル合唱団の活動を広めようと歩んでおりました。2020年2月には合唱団384団体、約7,500人となりましたが、コロナ禍で275合唱団、約1,800人弱まで急減し、存続が問われる時期がありました。寄付金等の協力もいただき、現在2024年1月時点で273合唱団、2,500人強となり活動を続けております。合唱を通じ、音楽が溢れ、笑顔の輪が広がることを願い今後も歩んで参ります。
NPO法人「音楽で日本の笑顔を」理事長
岡田秀春